2024/03/26 11:03

2019年秋。夜中にバチッと目が開いて急激に覚醒した。
記号、色、かたち、ことばが頭をかけめぐる。初めての状況でこわい。複式呼吸をくりかえし、何とか眠りに落ちた。


翌朝スマホでニュースを見ると字がおどっていて、どうしていいかわからず、当時かかっていたクリニックに駆け込むことにした(そこは乳腺だけど)。


JR駅へむかう道。
わたしが生涯最も安心して過ごした阪急岡本からJR摂津本山までのちいさな街。
きっと、この小さな街をゆっくり散歩して、朝の空気を吸い込んでいれば落ち着くのではないかと、今なら思うが。


きれいに改装したばかりの摂津本山駅から、見慣れたお方が出ていらした。
わたしのヨガの先生だった。

「さくらちゃん!」「ありこ先生」
「わたし今日お寺(ヨガ)!」「ああ、阪急王子公園乗り換えで?行ってらっしゃい」
昨晩じぶんを眠らせたのはヨガの呼吸法だった。

それだけは出来た。


ありこ先生はわたしが30歳のとき、初めてヨガを教わった先生だ。以降10年以上、住む場所が離れてもオンラインセッションへと形を変え教わり続けている。
昨年ご自宅へお邪魔したときは感激だった。
キッチンからお手洗いまで工夫が効いた細やかな装いで、生き暮すことへの感謝と喜びが目に見えた。
先生は、友だちが遊びに来て嬉しくてしかたがない小さな女の子みたいに、興奮気味に家の物をあれこれ紹介してくれた。体幹ゆらゆら下駄に乗ったり、身体の話や近況を交わし、先生作のアーユルヴェーダ料理をたっぷりいただいた。
身体をいたわるケアの提案として「自宅でお料理会をやろうと思うの」と話してすぐ実現されている。


ありこ先生はわたしの恩師。
わたしにとって恩師とは、目に見えないエネルギーが交差する人のことだ。
直接教わる具体的なこと(ヨガで言うならアーサナや呼吸法、養生の知恵)以上に、有形無形問わず、そのひとから発せられるなにかに感心し、励まされる。
発せられるなにかはそのひとの軸から生まれる。
軸はご自身の希望に沿って学習、研究、実践することで鍛えられている。
その深さに立ち入ることはしない。互いが、いいね、すごいね、あなたがあなたで嬉しいよ、と思い合う、シンプルな交流がつづく。


人間関係は「あげる・もらう、与える・与えられる、する・してくれる」に乗っ取られやすい。
じぶんの軸を外れて関係のなかに己を投じてしまうからだ。
「どうしてそうしてくれなかったのか」「なぜこう思ってくれないの」。
わたしはこの「くれない」について、自他問わず注意して見つめている。
危険なワードだと、思っている。



※たまに日記のようなものをブログに記そうと思います。わたしは何かとはなし「つなげたがり」。その性質をいかして、前回の日記からキーワードを得て次回を書く「連想日記」にします※


木村さくら