2024/03/22 19:35

身体的・精神的疲労を抱えた状態で、ある環境条件が揃うと、不安を予期して身体にさまざまな症状が現れる。
呼吸が乱れたり、めまいや吐き気を催したり。突如脳が明晰化して頭のなかが情報の海になる。などなど。
不安神経症、パニック障害、自律神経失調症、鬱…名称にするとその実が遠のく。
めちゃめちゃにつらくなって、じぶんが壊れるのではないかと恐れから、いっそうの不安に巻かれる。
「ある環境条件」は人によってエレベーターなど閉所、あるいは高速移動する乗り物だが、場所自体に原因はない。
そこに入らねばならない心を構えて挑む時点で、すでに不具合は生じている。


わたしの場合それは映画館で、かなしいことに、わたしは映画が大すき、映画館も好き。
だが、いま冷静に振り返ると、そう思い込もうとしていたのだ。暗い・明るい・大きい音。幼いころは苦手だったはず。


物語を観たい「気持ち」があって映画館に入るが「身体」はここに居たくない。電車に苦手意識がある人なら、目的は通勤でも、高速移動が身体になじまなければ負荷が蓄積する。

心は目的の遂行を求めるが、身体はその環境条件に在ることを拒否している。その差異が大きければ大きいほど不安が増幅する。目的・行動vs己の真実。


対立構造から脱却するには、真実のほうを見つめることからだ。わたしの例でいうと、幼いころのわたしが拒否するものに無理矢理立ち向かおうとしないことだ。
弱いところを全部消したら、わたしは完璧に強くなるのか?
できないことを克服することだけが成長か?
じぶんがどこにいて何を望んでいるのか見る、知ること。置いてきぼりにしないことだ。

 

「シェイプオブウォーター」はわたしが初めて中座した映画だ。
決してショッキングではない、美しいおとぎ話であり、
「物語」の存在自体をこよなく愛している人(ギレルモ・デル・トロ氏)が、ヒタヒタの愛を注いで作っていると伝わってくる。
前述のとおり不安の原因は場所や目にするものが何かではなく、身体が憶えている根本的苦手意識の過剰反応であり、
心身に疲労があればより引き出されやすい。
わたしはきっと、当時疲れ切っていたのだ。
それを無視して表面的な行動『えーっギレルモがアカデミー賞獲るの?!そりゃ劇場で観なくちゃ!!』に徹したのだ。

 
その後もたびたび複合条件で場所や場面を問わず不安に向き合うことになるのだが、身体を休め、真実を見つめなおして、心身が乖離しすぎないよう調整している。


映画館へはたまに行く。今は「落下の解剖学」が観たい。
もし「シェイプオブウォーター」がアカデミー賞特集か何かでリバイバル上映される日が来たら、観に行きたい。



※たまに日記のようなものをブログに記そうと思います。
わたしは何かとはなし「つなげたがり」。その性質をいかして、前回の日記からキーワードを得て次回を書く「連想日記」にします※


木村さくら